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Classic音楽,リュート,宇宙

クラシック音楽とリュート、宇宙・科学 etc

色ガラス,セロファンの記憶  

明日は「昭和の日」でGWの始まり、今年も約9割の人が出かけるのを控えると答えているそうで、「帰省ラッシュ」という言葉も小懐かしく思える; 

今日はちょっと凝り固まった昭和の記憶、筆者は幼い頃から"透明物"が何だか好きで、ガラス瓶やビー玉、おはじきなどじっと眺めていた。
薬瓶や医療器具には濃い色ガラスが使われることが多い、これは薬が光で変質するのを防ぐためで、また中身が薬品である注意を促す事にもなりそうだ、
VapoRub.jpgこれはプラスチック瓶
*日光を遮っても室内の蛍光灯が弱い紫外線を出している、人体に害はないが、長期間には白物の黄ばみ、印刷物の色褪せが起きる、このレコードクリーナーは白いプラスチックで、いつも部屋の定位置にあるが、蛍光灯の直射を受ける上面は黄ばみ、側面は白いままである、
cleaner_20210428105747c4b.jpg

さて、色ガラスの容器、内科の診察室に入ると、このシカン瓶というのがあった、
shikan bin
喉の奥を見るときの金属ヘラなど器具が立ててあった、そして様々な薬瓶、群青色や茶色の瓶は歯科でもよく見かけた、色ガラスは医療容器というイメージがある、
kisuribin.jpg
注射器は青緑のガラスが多かった、予防接種用の細いピストンが群青色だったのが印象強い、注射量を見やすくするためと思う、
chusyaki.jpg
これは何故か筆者のコレクション;

色ガラスの美しい日用品もある、ヴェネチアングラスの容器とか、エルバン製のガラスペン、など魅力だが、
Venetian glass
herbin-0008.jpg
これらは実用というより、卓上の飾りになりそう;

ガラスのほか色セロファンが手に入ると大事に取っておいた、
昭和のサロンパスは何枚かまとめて、濃い紫のセロファン袋に入っていた、
saronpas.jpg
このセロファン越しに廻りを見ると、何ともいえぬ夢心地の世界に見えた、
Paul lamp
黄色のセロファンも好きで、これを通すと景色がすべて暖かく、これも夢心地になった。
Cellophane yellow

PS.何故、透明のものに惹かれるのか、例えば猫は水に濡れるのは嫌うが、透明な水には感心を示す、つまり雑菌のいない清潔な水であるのを本能的に知って飲み水にする、
もしかしたら人間も「透明=清潔」というのが本能にあるのかも?

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昭和の床屋さん  

現在筆者は自宅で髪を切っている、もう数十年になるが、鏡を見ながら前と横は自分で切り、後ろだけカミさんに切ってもらっていたが、近頃は後ろも手探りで自分で切っている^^;
もちろんスキ鋏で、
理髪店、いわゆる床屋は長く行っていないだけによけい懐かしい、 
tokoya.jpg
昭和の昔、通っていた床屋は店主ほか雇われた若い理容師が何人もいて、理容椅子が何台も並んでいた、客も賑わっていて予約なしで気長に順番待ちをするものだった、
rihatuten.jpg
いつも父と一緒に散髪に行ったが、小さい頃は幼児用の補助椅子に座った、
Hairdresser chair
襟足のあたりはバリカンだったろうか、冬はちょっと冷たい;櫛でさぐりながらきれいに芝を刈るようなハサミの技だけでも大したものと思った、当時のヘアスタイルは髪を切り揃えるのが基本だったので、素人にはできなかった、
Hair clippers
床屋のハサミの扱いは親指を通した刃だけ動かし、もう一方の刃は不動にするのだと聞いた憶えがある、確かに切る場所がブレない、自分でやろうとすると結構難しい、
洋剃刀と和剃刀があり、子供には和剃刀のみ使っていた、
kamisori.jpg
取っ手付きのシェービングカップも懐かしい、
Shaving cup
理容椅子の脇か壁だったろうか、こういう革の帯が下げてあり、これで剃刀をさすっていた、歴史は古いものだろう、
Razor belt
これは「研ぐ」と言うより「刃立て」というべきもの、ミクロスケールで凹凸の生じた刃先を揃えて切れを良くする、チャップリンの映画にも出てくる、
Chaplin.jpg
you tube:Charlie Chaplin - The Great Dictator - Barber Shop Scene

床屋共通のシャンプーや整髪料の匂いが漂っていた店内に、誰かが弾くのかスチールギターが置いてあって、オシャレな床屋のイメージと重なりセットで思い出す、
Steel guitar
その頃ハワイアンが流行りだったのか、あの無段階にポルタメントのかかる音を耳にした、
たしかに和田弘とマヒナスターズがヒット曲をだしていて、これも記憶と重なる。
mahina.jpg
you tube:誰よりも君を愛す-松尾和子&和田弘とマヒナスターズ

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フラフープ、ダッコちゃん etc  

今日は本当に幼少の頃の記憶で懐かし過ぎ;
流行に関係ない定番玩具もあるが赤ちゃんの上に吊して廻すオルゴールメリーは出産のお祝いで贈るものだったろうか、これで赤ちゃんの機嫌が直ったところってあまり記憶がない; 
Baby toys
自分で遊ぶようになって、水鉄砲はお風呂遊びのアイテムだった、スケルトンのプラスチック製なのが気に入っていた、
mizudeppo.jpg

全国一斉に流行るという単純な玩具があった、
まず1958年から「プラフープ」というパイプで作った単なるリングが大流行、
これを体のウエストで廻す遊びである、
Hula Hoop
原理的には紐を付けた物体を遠心力で廻すのと同じで、それが輪っかに置き換わったもの、
遠心力の支点が常に接触した体になるようタイミングを合せて動かすのコツである、よい運動になるとかで大人達もみんなやっていた、この頃筆者は小さすぎてできなかった、

続いて1960年から流行ったのが「ダッコちゃん」で、ビニールを膨らませる人形だが、腕や支柱などに抱きつくようにしたのがポイント、
dakkochan_20210417094933234.jpg
これを腕に抱きつかせて歩くのが女子のファッション?みたいになった、流行はある種の集団行動と思うが、何の変哲もないビニール人形がこれほど流行ったというのは不思議に思う、
*この頃ヒットしていたのがザ・ピーナッツの「情熱の花」などである、
jonetunohana_20210417094403551.jpg
you tube:情熱の花 ザ・ピーナッツ

ほか「ジャラ」というビニール製の鈴落としも一時流行り、うちにも(たぶん貰って)あったような、ちょっとしたゲーム的玩具、
jara.jpg
これもタカラ製、特に面白いというものではないが、なぜかどこにでもあった;

タカラトミーは一時の流行りで終るものじゃなく、長く親しまれる製品を目指し、1967年から「リカちゃん」という着せ替え人形を出した、歴代デザインも変わっている、フルネームは「香山リカ」だそうで日本国籍らしいが、和風に作られたことはない、
rika_20210417100102026.jpg
童謡「青い目の人形」以来?欧米風容姿のほうが美しいというのが定着したのだろうか、リカちゃんハウスなど発展製品も作られ、夢があって面白そうだが高価なものとなった。

1971年、ちょっとの間「アメリカンクラッカー」というのが流行った、紐をつけた固いボールを慣性運動の伝達でカチカチぶつける単純なもので、粗悪品はボールが割れてしまった、
a c

一番面白いのはロングセラーの「LEGO」だったろうか、特定の物を作るセットもあったがブロックは応用が効き、自由に様々な立体が作れるのは子供の創造指向が現れて面白い、
lego.jpg
人形は冠り物が付けられるよう、頭の天辺が丼の脚部みたいになっている;
平成に入って息子もREGOで遊んだが、まともな物じゃなく、何だかわからない変な物体を作るのが好きで、これは血筋のようだ^^;

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助六と幕の内  

筆者は何でも刺身にするというのは好きではなく、エビは火を通した香ばしさが良いと思うし、アワビなど生では固くて味がない感じだ、寿司も高級ネタのにぎり寿司より、美味しく出来た助六寿司や鯖寿司等(押し寿司)のほうが好き、といっても過言じゃない^^

過去記事にも書いたように「助六」と呼ばれるのは、江戸時代、歌舞伎の市川團十郎家の十八番、「助六所縁江戸桜」が大ヒットして、主人公の助六の愛人が「揚巻」という名で、油揚げと巻き寿司の洒落から、稲荷寿司と海苔巻きが折り詰めにされたのが始まりと伝わる、
Sukeroku_202104160937334af.jpg
当時は倹約令が出されており、江戸前の魚を使ったにぎり寿司は贅沢とされたらしい。
sukeroku sushi
材料は高価じゃないが、作るのは結構手間である、筆者も小学生で興味を持ち、巻き簾で巻き寿司を作るコツを憶え、面白かった、
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まず肝心なのは酢飯を上手く作ること、ピカピカの新米より、古米のほうが酢が染み込みやすい、そして干瓢、干し椎茸、油揚げをうまく味付けする、煮汁を油揚げに吸わせて稲荷寿司にするのは無駄がなくていい、ただ助六は今のお子様達には人気ないらしい;
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干瓢と材料のユウガオの実
マグロを入れて好物の鉄火巻きも作った、サビ効かせて、細い海苔巻きは海苔を半分に切る、
包丁で切った飯粒の断面が美味しそうで海苔巻きならでは、
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恵方巻によくある具が多過ぎの海苔巻きは好きではない、商戦略だろうが何でも増やせばいいってもんじゃない;昔ながらの具材で干瓢、干し椎茸、卵焼き、きゅうり、紅生姜があれば味は調っている、
kanpyo hoshi
干瓢干し

幕の内弁当というのも今ではやたらおかずがゴージャスになり、ご飯のスペースはちょっぴりか別器なのが多く、わりご弁当に近い、美味しく炊けた冷めたご飯も味わいどころで、おかずは定番ものが良い味付けで入っていればいい、
makunouchi_20210416093729cda.jpg
今は駅弁にもこのタイプは少なくなったかな、
「幕の内」という語源は諸説あるそうで定かではない、筆者は相撲の「幕内」と関係していると思っていたが、
・戦陣の幕の中で食べた携行食、
・芝居見物の幕間に観客が食べた弁当、
・幕間の時間に役者が食べた弁当、
また、相撲の"幕内"力士という呼び名は相撲茶屋が芝居見物同様の弁当を出し、幕の内という言葉が持ち込まれたとか、どれももっともらしくて面白い。

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花火遊び  

季節外れの話で恐縮;
先日の火薬の玩具と関連していろいろ思い出す、幼少の頃は線香花火や、竹ひごの先に付いた花火で喜んでいた、1本にもう1つ枝が付いたようなのが記憶にあって、お気に入りだった、 
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線香花火は2本くっつけると大玉になったが、落っこちやすい;
senko hanabi
omocha hanabi 02
しかし中学の頃になると線香花火とか棒花火なんか、かったるくてやっていられなかった;
とにかく派手に「飛ぶ、打ちあげる、破裂する」ものばかり、
いつもの遊び仲間で、買った花火を持ち寄り、花火大会と称して、木曽川の河畔に行き、住宅街ではやれない遊びをやりまくった、
kisogawa_202103281102063d9.jpg
たしか、この辺りで遊んだ、
爆竹は20個くらいが繫がっているが、さらに繋いで長くしたり、空き缶を上に被せてどうなるか試したり、
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ロケット花火を2本束ねて同時発射したり、川面に向けて水平に飛ばしたらどうなるかとか、
rocket.jpg
上手く行ったかどうかは思い出せないが、考えることは小学生の頃と変わらない;
足場が平坦じゃないせいか、打ち上げ花火の導火線に火をつけたあとに筒が倒れ、泡食って逃げたのも思い出すと楽しい、
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玩具級の打ち上げ花火も最近は一味違う凝った製品が出ているようだが、うちの子が小さい頃はおとなしい花火セットくらいしかやらなかった。
hanabi set
筆者が子供の頃、昭和の花火セットは一見豪華だが、パッケージの中央付近が底上げになっていて、絵やロゴ文字でスペースをとり、いかにも軽く、大した数は入っていなかった、
sokoage.jpg
両脇に筒花火が入っていたが、火をつけたらすぐ終わり、ってものばかり;
これが日本製で、当時は何にしても"見かけ倒し"、"底上げ"の品がやたら多かった、箱入りのお菓子などもそうだったような;
やがて中国製の玩具花火が入ってきて、きれいで安くてしっかりした品だった。

PS.幼い頃、花火は一片にやってしまうともったいないので、親が半分、戸棚に隠していた;
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昭和の衣類,履物  

ちょっと冬に逆戻りした話で恐縮、
nhkの朝ドラ「なつぞら」は昭和をよく再現していた、地平(吉田隼)くんの冬服が昭和の子供そのもの、とっくりのセーター、コール天のズボン、毛糸の帽子、 
natuzora_20210324100820145.jpg
その一場面
ほっぺが赤いのはメイクだろう、
確かに幼児の頃は北風が頬に当たるとヒリヒリ痛いほどだった、
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コール天(コーデュロイ):子供服
一方、こういうチェックの半ズボンとサスペンダー、白いカッターシャツ、白いハイソックスと黒い革靴(+ Vネックのベストにブレザー)、
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これがフツーの子供とは一味違う;「お坊ちゃま」スタイルとして焼き付いている、今もそうなのだろうか、

毛糸ものは自家製が多く、こういう編み機でセーター、カーデガン、チョッキなど毛糸をリサイクルして作り、一色の柄編みなしを着ていた;
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ただ筆者は毛糸アレルギーなので、肌にふれるとチクチクして嫌だった、とっくり(ハイネック)は我慢できなかった;

小学校に通いだすとこんなズック靴、アキレス、ツキホシというメーカーを思い出す、
zukku kutu
今のスニーカーと違って素地は薄く、ヒビ割れると雨水が入ってくる、冬でもこの靴で霜柱を踏みながら通ったのだから、シモヤケができて当然だった;
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足にキンカンを塗ったがかゆみ止めくらいだったか;
そう言えば冬の間だけ黄色い通学帽じゃなく、こういう飛行帽みたいなのが許可されていた、耳覆いがあり、オモチャ級のゴーグルが付いてて;
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帰宅して玄関を開けると、レンタンの匂いが立ち込めていた、レンタンの燃えかすは適当に捨てれば土と同化していった、

下駄は履かなかったが木のサンダルはよく履いた憶えである、
geta_20210324104317603.jpg
今の幼児が履くサンダルで、歩くと"ピフピフ"とか音が出るのは可愛いと思ったし、親も子が近くに居るのがわかりやすい、
kodomo Sandals

さて、時は下り就職した頃、サラリーマンがみんな来ていたスーツは「背広」と言っていた、今は言わないな~;
背広の語源はロンドンの「Savile Row」という有名店の名であるという説のほかにもいくつかあるらしい、筆者は上下揃いじゃなく、殆どブレザーを着ていたが、一応ネクタイは付き物、毎朝首に結ぶのが面倒だった、
この商品は普通のネクタイを結ばずに着けられるもの、
aoki tie up
シャツの首元にフックを掛け、Yの字の両端を襟に挟み込むだけ、見た目は普通に着用しているように見える、冠婚葬祭で着ける頻度も減ったし、これを使い出してから本当に結ぶのが下手になった^^;
tie up

PS. 親父世代のサラリーマンは電車に乗り、こんな通勤カバン持って、ギューギュー音の出る革靴で通っていた。
kaban.jpg

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文房具の「金と銀」  

昔、吉本新喜劇で・・
「日銀に勤めてます、」
「えっ、あの日銀でっか!」
で、名刺をもらうと
「日本銀紙製造株式会社・・なんや、ややこし言い方しなはんな、」
というギャグがあった、
 
それはさておき、また小学校の文房具の記憶、
金と銀に特別な思い入れがあるのは日本人だけではないだろう、西洋画の中で金の光沢を描くときは、黄色の絵の具をメインに明暗を付けて写実的に描くが、日本画ではもろに金の顔料や金箔を絵の中に用いる、
korin.jpg
尾形光琳 「紅白梅図屏風」
もちろん西洋でも装飾として金箔は使うが、グスタフ・クリムトが金箔を用いた絵画を描いている、ジャポニズムの影響とされる。
seineinoki.jpg
グスタフ・クリムト 「生命の樹」
*金という重い元素は宇宙のどこで作られたのか、理論上超新星爆発の超高圧でも出来ない、
さらに上をいく中性子星合体で初めて生み出される、というのが観測でも確認された。

さて、折り紙セットを買えば金と銀が1枚ずつ入っていて、これはよく輝いて、七夕飾りなどに使うと見栄えがした、
origami.jpg
教室には"笹代わりの竹"が飾られ、すっかり萎れた竹の葉を思い出す;

クレパスには30本入りの高級セットを買うと、金銀色が入っていた、
Crepas.jpg
これを塗って特に輝くことはなく、金は黄土色、銀は灰色に見えた;

色鉛筆セットも大抵は12本セットを使っていたが、ブリキケースの24色セットを買うと金銀が入ってゴージャスだった^^
iroenpitu 24iroenpitu G S
塗ると見る角度で少しは光沢があった、

水彩絵の具にも金銀があったが、これを使ったかどうか憶えがない、
enogu_20210322110214d31.jpg
いずれも金と銀はとっておきの色でむやみに使わず、残しておいたように思う;

文具ではないが、 紙で思い出したのが、よく作って飛ばしたこのゴム動力ヒコーキ、材料一式が縦長の袋に入っていて、
gomu hikoki
バルサ材と竹ひごで骨組みを作り、薄紙を貼る、紙は障子紙と同様、霧吹きで濡らして乾かし弛みを無くした、上手く飛ぶように出来た記憶はあまりない;

PS. 飛ぶといえば、奇士さんのブログにあったこのネコ、
隣の屋根に颯爽とムササビのごとく飛ぼうとするのだが・・太りすぎか;
Flying cat
imgur動画
思いっきりギャグに見える、ドジっぷりがツボでたまらない^^v

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昭和の文具 etc  

先日の「セルロイド」から、芋づる式に話ネタが出てきた^^
セルロイドは顔料の入れ具合で鼈甲風にも、オパールのようにも角度で変わる光沢を持たせられる、こうしていろいろ見てみるとnhk「美の壷」のお題にできそうである^^眼鏡フレームの素材の1つとしては取上げられたようだ、 
Celluloid pencil case
衝撃に脆く割れやすい、また発火温度が低く燃えやすい、儚い素材でもある、小学校のはじめはセルロイドの筆箱の記憶があって、割れが入っても使っていた、
筆箱にも様々な材料があり、ブリキ缶もあれば、厚布や合成革で"チャック"で閉めるタイプもあった、人気のアニメ・キャラなど印刷されていた、プラスチックの枠にビニール蓋が付き、弁当箱みたいに仕切られた多機能タイプは鉛筆削りも付き、ゴージャスで羨ましかった、
Pencil case 02
そして、サンスターが発売したアーム筆入れは「象がふんでもこわれない!」のCMでお馴染み、ポリカーボネイト製になったのは革命的で本当に長持ちだった。
Pencil case 03

匂い消しゴムも小学校時代から登場、フルーツ系の香りが懐かしいが、それだけで何か良い事があるわけではない、セラピー効果があるとか言われるが?;
nioi keshigomu
むしろ、鉛筆の木の香り(北米産のインセンスシダー:ヒノキ科)、こっちのほうがアロマ効果がありそう、

手回しの鉛筆削りは机に固定する金具付きで、随分長く付けっぱなしだった、
enpitukezuri.jpg
電動も一時使ったが削り過ぎが生じ;手回しでも不便じゃないと思った、

ガラスペンというのを、たしかペン画の授業で1回くらい使った憶えがある、滑りが悪く、よほど力を抜かないと書きにくい、
職場では事務用で細か~い字を書き込むとき用に置かれていたが、使ったことはない、
Glass pen
この付けペンは優れもので、扱いが良ければ"極細の筆"のような味わいで字が書ける(万年筆ではそんな風に書けない)、今もペン字学習に使われる、
tukepen_2021031709203769f.jpg

PS. 以下、文具ではないが、学校の前には"文房具兼駄菓子屋"があり、お馴染みのやんちゃな玩具もあった;運動会のスタート合図に使う平玉火薬を叩くピストルは今も使われるが、
hira kayaku
小学校の頃はこれの玩具バージョンで、小さな火薬玉テープがロールになったのをセットし、連続して叩けるブリキのピストルがあった、
Toy pistol
こんなのでも近接すると衝撃波が来る、平玉火薬対応の物もあったが、バネが弱いせいかあまりデカい音は出なかった;
また、こういうゴムパチンコでカンシャク玉を放ち、当った所で破裂、滅茶苦茶やっていた、思い出しても罪悪感が・・こんな子供が野放しだった^^;
gomu pachinko
2B弾など、爆発火薬は玩具でも集めれば爆発力を増して危ないので禁止され、姿を消した。
"銀玉鉄砲"も当時人気アイテムで遊びまくった、粘土を焼き固めた丸玉に銀の塗装がしてあり、かなりの装弾数で引き金を引いたバネの力で結構飛ぶ、
gindama teppo
玉が散らかって叱られるし、目に当たると危ないとかで止められたかな; ≪続く≫

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トタンとブリキ etc  

今日も昭和の話だけど、ちょっと地味^^; 
昔は身の周りにいくらでもあった、トタンやブリキ製の物品、簡易な建物の屋根や外壁にも波打ち整形のトタンが張られ、強い雨が打ち付けるとやたら煩い、というのも懐かしい、上に塗られたペンキが剥がれ、さらにメッキも落ちてサビがくる、そんな風化した建物には昔の風情があって、味わいを見いだしてしまう;
komukai_20210312101950f76.jpg
因みにトタンは鉄板に亜鉛メッキしたもので、表面には"スパングル"と呼ばれる独特の斑模様がある、亜鉛メッキが冷却されるとき、結晶化の原子配列で現れるそうだ、
spangle_2021031210334739d.jpgトタンのスパングル
屋内で馴染みのトタンは昭和の米びつ、米屋さんが運んでくる米をドサっと入れた、
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(子供には持てない重さには家族何日分ものエネルギー源が凝縮された実感があった)
新しいトタンは光沢があるが、古くなると渋い灰色になり、美しくはないが;台所の隅にある年季の入った姿にはほっとする日常を感じた、
totan komebitu
計量仕掛けはないので、使い込んだ二号升で米を取り出し、ガス炊飯器で炊いていた、
masu suihanki
また、米びつと区別つきにくいが、押入にはトタンの衣装箱(葛籠)があって、衣替えの衣類をナフタリン付きで収納した、
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今はこういうケース類は軽いビニルやポリ製が殆どだが、トタン箱は角張っているし、キャスターもなく、2段に積むと出し入れが面倒でつい億劫になった;これに色柄の塗装を施したのが嫁入り道具だったり、増えると場所を取るし;;着ない衣類とともに減らしたほうがよいが、案外「まだ着られる」というだけで断捨離が決行できなかった;

トタンとブリキは混同されがちだが、ブリキは錫メッキでスパングルは現れない、よく見かけるものでは一斗缶で、缶や金属のオモチャなどにも使われ薄手の鉄板が多かっただろうか、
ittokan_20210312100807c30.jpg

今は使われなくなった素材で、セルロイド(人工プラスチック)は容器類や眼鏡フレームほか、レコード、万年筆の軸、アコーディオンのボディ、鉛筆箱でも思い出す、
ただ熱には弱く、発火温度が低いのが難点、
celluloid.jpg
エボナイト(硬化ゴム)は耐熱性があり、黒いプラグや電球のソケットなど絶縁体に使われ、万年筆の軸、クラリネットのマウスピースにも使われた、
ebonite.jpg
いずれも独特の風合いを持っていて懐かしい。

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チキンラーメンの食べ方 <追記あり>  

昭和風の手作りラーメンもだいぶ馴れてきて、納得いく出来になってきたが、 
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それでもインスタント麺は別個に好きなのである;
チキンラーメンのスープの味は良いが、熱湯で3分経つとスープが溶け出し、麺が"だしガラ"のように感じなくもない;(ベビースターラーメンに馴染んだせいか) しかし独特の風味と食感は、久しぶりに食すと美味いv
今は麺の塊に凹みを設け、生卵を載せて湯をかけるようになっているが、結局生卵は月見うどん同様、黄身がスープと混ざってしまうのが好きじゃなくて、入れるなら茹で卵を切って乗せたほうが良い、又は温泉卵状態v
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湯をかけるだけで、調理を加える余地がないが、何か具がないと物足りない、チキンラーメンには即席麺らしく生ネギより、乾燥ネギのほうが相性よいと思う、
chicken ramen negi
夜食にすることが多いのでこれで十分、

ちょっと脱線するが相性といえば、紅茶にウヰスキーというのはよく合う、
久しく忘れていたが、筆者には何だか懐かしくほっとする昭和の香りである、
tea.jpg
うちは遺伝的にアルコール,ダメ体質なので、もらったウヰスキーなど父は、たまに紅茶に少量入れていた、昔はジョニーウォーカー黒など高級で、栓はキャップ付きのコルクになっていた(抜いたときの音がいい)、そのボトルが何年も茶箪笥に残っていた;
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先日も紅茶のためだけに買ってきたが、かなり持つだろう;

コーヒーにはブランデーの香りが合う気がするが、"カフェロワイヤル"なんてぇのをTVで見て思わず真似した^^
Cafe Royale
べつに火はつけなくてよいような?違いがわからない筆者であった;
you tube:ネスカフェ ゴールドブレンド CM

追記: ウイスキーを何故「ウヰスキー」とも書くのか、これはnhk朝ドラ「マッサン」の中でも描かれていたらしい、 ウヰスキーの「ヰ」の元の漢字は「井」である、ウイスキーは水が大事なので井戸の「井」を用いた「ウ井スキー」と商標登録したかったが、漢字混じりの登録は不可だったので、「ゐ」のカタカナになる「ヰ」に替えたそうだ、商標がいつの間にか一般に使われるようになったらしい。

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