Micha クラシックとリュートの楽しみ

クラシック音楽とリュート、自然・科学の話など

C.アバド:モーツァルト交響曲第38番「プラハ」  

今更、ピリオド奏法云々を口にする必要もない時代となってきましたが、アバドをはじめ老巨匠といわれる指揮者でさえその音楽的効果を認め、単なる潮流ではない現代奏法となってきたようです。近くコリン・ディヴィスの晩年近くのハイドンを聴く予定ですがこれも楽しみ。

さて前回、C.アバド指揮、モーツァルトOでモーツァルト交響曲2枚組よりCD1のレビューをしましたが、今日はCD2より、38番「プラハ」を聴きます。最新のアプローチの上にアバド持ち前の音楽美質が溢れているようです。

moz 38 abb
クラウディオ・アバド指揮、モーツァルト管弦楽団
2006年録音 アルヒーフ


第一楽章序奏部の演奏から大いに期待感を持たせる、涼やかな響きで程よく切れ目を入れながら一音単位でのデュナーミク、また大きな単位での起伏、全てが絶妙で味わい深い、主部の開始のシンコペーションも弱音でくっきり快活さを際立たせる、ダイナミズムは物量感ではなく、ティンパニを核とした瞬発力で表現、常に耳心地よい、快活さを維持しながら展開部など構成の複雑なところも見渡しのよいオケ・バランスで明快に聴かせる。前半、後半とも反復するが本当に繰り返し聴きたい内容。
第二楽章、遅いテンポは取らず、リズム感も少し出しながら、一節一節を語るように進む、ただのまったりしたレガート表現はない、第二楽章もソナタ形式だけに、ぐっと彫の深い味わいを聴かせる。
終楽章、快速なテンポで、第一楽章と同様、快活な中にも一瞬も漏らさず細かな単位での表現を貫徹、まるでオケを独奏楽器のようにコントロールする、多くの技が前面に出ず必然のものと聴こえ、アバドが生きた時代を集大成したかのようで、どこもかしこも素晴らしい。

アバドはヨーロッパ室内Oと優れたハイドン交響曲を録音済みだが、今一度この時期、モーツァルトOとも残してほしかった、ライヴ録音にも見当たらないのが残念。

category: モーツァルト

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オーディオの疑問  

私も一頃はオーディオのケーブル類とかに拘っていろいろ試してみたことがあるが、今はとんと無頓着、接続さえしっかりしていれば何でもよいという近況です;
アナログプレーヤーのアーム部を見て気づいたのですが、アームのパイプを通ってきて、下部へ繋がるところのリード線を見ると、ごく細いものです。ここに太くてしなりの硬いリード線を使ったら、アームの動きに支障が出るでしょう。高級プレーヤーは違う仕掛けでしょうか?

リード線02

一方、カートリッジとヘッドシェルを繋ぐリード線には無酸素銅とか高級線材を使ったというものがあります、わずか2cmほどの部分だけ高級化して何の意味があるのか?;電気工学的に説明出来る方には教えてほしいところ・・;

リード線01

手前のMCカートリッジには上級線が付属していたので使ってはいますが、線が硬くて繋ぐのが大変でした;リード線は奥のもので十分だと思っていますが。

category: オーディオ

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息子のスピーカー  

息子がアパートで使っているシステム、ここらで少しレベルアップしたいと相談をうけ、プレーヤーやアンプは替えても殆ど替わり映えしない、まずはスピーカーだ、ということで、予算の都合も合わせ選んだのがこれ、

kef q300

KEF Q300、私の所には届かず、息子のアパートに直送だったので、まだ聴いていません;
「ウーファーとツィーターが同軸なので音場がはっきりする」とか「LPを聴くと、今まで聴こえなかった音も聴こえる」とか、わざわざ二度電話がかかってきて、一応気にいったらしいです。そう聞くと、何枚かお気に入り盤を持って久しぶりに押しかけてみたくなります^^;

category: オーディオ

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O.M.ドンボア:ヴァイス ソナタ"L'infidele" ほか  

今月亡くなられた、オイゲン・ミュラー・ドンボア氏のバロックリュートの音楽第1集LPを再入手しました。これでシェーファー氏による第3集まで揃いました。SEON原盤ですが、なぜか今度はPHILIPSレーベルから出ていた輸入盤です。第2集は見本盤だったし、変り種が入ってくる^^

dombois 02

このLPがまさに本格的バロックリュートの演奏として、最初に手にしたものです。この時すっかり魅了されたのがヴァイスの"L'infidele"という組曲で「不実な女」と約されますが、正確な意味じゃないらしいです。ヴァイスの持つ、バロックリュートを通じた独特の節回しは不思議なテイストでB面に入っているバッハのBWV998より気に入ってしまったほど^^;セゴビアの演奏でヴァイスの曲には引き付けられるものがありましたが、これはオリジナルのリュートでの演奏、その魅力と深みには圧倒されました。
一曲目のアントレ、後半では7連符のパッセージがありますが、ドンボアはきっちり音価を7等分する、全曲通じてほぼインテンポ基調の真面目な演奏だが、そのストイックな感覚が一層引き付ける。6曲目のミュゼットなども一定のリズムで転調していくところなど、すっかり引き込まれます。

すっかり気に行った「不実な女」、ギター編曲譜が某ギター雑誌に載り、挑戦したところ、調弦法の違いから何とも弾き辛いし、弾けたとしても本来の魅力は出せそうにないので即断念;
その後バロックリュートを手にし、まだ初心者の頃、この曲を無理やり練習しました;もちろんちゃんと弾けませんでしたが、さすがに本来の楽器だけに運指も自然で、深い響きはなにより嬉しかった。再挑戦したい曲です。

B面のバッハ、プレリュード、フーガ、アレグロBWV998も良い演奏です、じつに難技巧な曲ですが。ルバート表現は最小限にした整然とした演奏、ゆっくりと演奏するフーガは各声部の動きが明瞭に聴こえる、リュートにはいささか困難なフーガを雄大に弾き切る、アレグロもリュートらしい落ち着いたテンポだが、まさに上声旋律と通奏低音が流れて行く、二人の奏者のような音楽を明快に流麗に聴かせる。

category: リュート作品

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年周視差と距離梯子  

宇宙の距離梯子は先へ行くほど長く繋いだ釣り竿のように頼りない気がしますが、少なくとも最初の土台の年周視差測定は正確にしたいものです。
日常の器具であるマイクロメータは微小の寸法を測るために、ネジの回転数を利用して、人間の目で見やすい目盛に拡大するといった工夫ですが、天体の年周視差の角度を測るというのも普通の分度器じゃ無理でマイクロメータに似た手法の角度測定器が使われたと聞きました。

宇宙の距離を測るというのはとてつもないことで、一般人が夜空の星を見ても、遠すぎてわからないと諦めるのが普通でしょう、しかし紀元前には月までの距離をほぼ正確に測っていたとか。月は観測場所が遠く離れると見える方向がわずかに違うことを発見したからです。一方でアンドロメダ銀河が銀河系の外にあると確認できたのは20世紀に入ってから、というのにも驚く、遠くなるほど難しいんですね。月っていうと、どうにか手の届きそうな感じですが、アンドロメダなんて皆目、見当つきそうにないかな;
紀元前の学者が発見した、地上で行う三角測量と同じ方法の年周視差という天体までの距離の測定法が一番確実で、宇宙の測り方としては巻尺を伸ばして直接測ったに近い信頼度でしょう。地球が公転する直径の距離を三角形の底辺として半年後に見える天体の角度の差で計算するわけですが、地球の公転直径は約3億km、光でたかだか17分弱の距離、一方太陽系に最も近い恒星でも4.3光年、17分と4.3年じゃえらい違いですが、めげずに精密な測定器をもって測るしかない。このように得られた測定結果が宇宙の距離を測る土台となります。次の段階ではセファイド変光星が使われる、アメリカの天文台で観測写真の解析を務めていた女性が変光の周期と星の実際の大きさ(明るさ)には比例関係があることを発見、よって変光周期と見かけの明るさから距離が割り出せる、あとはこのセファイド変光星が年周視差の測定範囲に見つかれば梯子が繋がる、お馴染みの北極星もセファイド変光星なのですが、従来の年周視差測定では遠すぎて正確なところがわからなかったようです。
E.ハッブルがアンドロメダ銀河内にセファイド変光星を発見し、辛うじて、銀河系の外にあることがわかった、しかし誤差は大きかった、まだ距離梯子の土台が曖昧だったせいでしょう。でも一応、銀河系の外まで梯子は伸ばした。さらに遠い銀河の距離となると、今度は1a型超新星が使われる、超新星は極めて明るいので遥か遠くても観測できる、しかも1a型の爆発の規模はほぼ同じで、見かけの明るさで距離がわかるというもの、同じ銀河内にセファイド変光星と1a型超新星が見つかれば、ここで梯子が繋がる、というわけで、セファイドと1a型がどの程度信頼できるかはわからないが、宇宙の距離が皆目見当が付かない状況からは脱したでしょう。

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観測衛星ガイア

2013年12月に打ち上げられた観測衛星ガイアはほぼ銀河系中心までの距離を年周視差で正確に測定できる最高の観測機だそうですが、宇宙に浮かぶ超精密マイクロメータでしょう。これで、距離梯子の土台が正確になり、さらに第二段階のセファイド変光星の信頼度もわかってきて?宇宙のスケールが正しく修正されるかもしれません。銀河系円盤の直径は約10万光年とされていますが、ガイアは銀河系の半径くらいまで測定できるので、かなり正確にわかってくるでしょう。

天体の光は遠くなるほど、膨張しつつある宇宙を旅してきた過去の光なので、今現在、その天体はどこにいるのか逆算する必要がありますね。はたして可視宇宙の大きさは何億(何兆)光年になるのか。

category: 科学・自然・雑学

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頸椎の手術  

頸椎の骨の隙間が狭くなり、神経を圧迫して手がしびれ、これが長くリュートを弾く支障になっています。今日は紹介を受けた病院でMRIとX線で詳しく診てもらい、放置すれば悪くはなっても良くなることはない、治すには圧迫している部分の骨を削る手術しかないとのこと。
10年ほど前、別の病院で同じようにMRIを撮ったのに、大したことないように言われたんですが、今日は圧迫している様子がよくわかりました。
この際、6月か7月に手術を受けようかと思っています。ちょっと入院だそうですが;;

category: 時事・雑記

L.レミー:C.P.E.バッハ チェンバロ協奏曲 Wq38,30,37  

今日はluteレッスンの日でしたが、昨日から急な腰痛に見舞われ、残念ながら予定を繰り延べしてもらいました。座ったり立ったりがしんどく何もできません;
音楽でも聴いて静養の一日です。
今日は気分を変えてC.P.E.バッハのコンチェルト、エマヌエルの作品はWq番号で憶えているつもりですが、まだあやふやです、鍵盤協奏曲はなにしろ多くて;ふとラックから取りだしたのがWq38,30,37の入ったcpoレーベル、演奏はルトガー・レミー:指揮とチェンバロ、レサミ・ド・フィリッペ。cpoはさほどメジャーじゃないけど、優れた作品を優れた演奏で提供する、興味深い録音の宝庫です。エマヌエルはメジャーですけどね。まさに多感様式だが、前期古典派のドイツ圏に生れたバロックでも古典でもない、音楽史の道筋から少し枝分れしたような特殊な魅力に溢れている。これはハイドン、ベートーヴェンにも影響を残しているようです。

c p e bach con

さてこのCDは魅力な3曲が入っていたはず、
1曲目、へ長調Wq38第一楽章は溌剌とした楽しさに溢れている、快調なリズム感を止めることなく、いつものエマヌエルらしさもあるが、この溌剌とした主題の切れ味は初期ハイドンの鍵盤協奏曲も思わせる、ハイドンはエマヌエルの作品の多くを独学で研究したそうだから、それも頷ける。楽しい楽章とは言え、調の移ろいや多彩な変化を十分聴かせる。
第二楽章は短調、一変して趣きが変る、2本のflトラヴェルソが加わる、独立したパートはなく、1st,2nd:vlと重ねるだけだが、翳りを帯びた雰囲気を嫌が上にも深める、モダンflだったらこうは行かないだろう;
終楽章、第一楽章の快調さと比べ、凝った構成、長調楽章であることがあまりはっきりしない、vlソロが印象的な前奏、突然の長い休符、予測を許さない動と静が聴き手を最後まで惑わせ、引き付ける。
2曲目、ロ短調Wq30
第一楽章、主題はエマヌエルの短調作品らしい魅力を帯びて開始、半音進行もあれば、跳躍、転調も思い切った切れ味、どの曲もそうだが、鍵盤のソロは見事ではあるがあまり耳を奪われず、斬新な構成を聴いてしまう。実際、鍵盤が長く聴かせるという所はないし、鍵盤は美しい繋ぎ?
第二楽章は、和声の美しさと弦楽の押し出すダイナミズムが耳を引く、チェンバロの穏やかな流れが気分を落ち着かせる。ソロとバックは対等な重要性をもっている。
終楽章、切れ味のある付点リズムの活気で支配された楽章、ソロは鍵盤らしいアルペッジョを奏でる部分が多いが楽章の骨格はバックが作り上げる。
3曲目、ハ短調Wq37
第一楽章、力強い付点の動機で始まり、急速な切迫感をもった主題、ゆるやかな主題、強弱の対比、とにかく構成的に魅了する、フレーズの終わりにトリルを入れてまとめるのはいつもながら。ソロは長々とアルペジョを奏で、バックが涼やかな助奏をいれるあたり聴きどころ。いずれにせよ、予測の立たない構成で引き付けていく。
第二楽章、これは爽やかな楽章、短い前奏ですぐソロが始まるが、美しく穏やかな流れで進む、転調の移ろいもよい。
終楽章、前2曲とはまた異なる活発なジーグ風の楽章、終始このリズムに引き付けられる。

category: C.P.E.バッハ

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O.スウィトナー:ベートーヴェン交響曲第3番「英雄」  

以前にも書いたとおり、O.スウィトナー指揮、SKBのベートーヴェン交響曲は全曲CDで持っていますが、ほぼLPも集め切る手前です;DENON&D.シャルプラッテンによるPCM録音はLPで聴いてはじめてフルスケールで聴けたような充実のサウンド。今日はスウィトナーの「英雄」、第一楽章だけでA面を占め、B面に残りの楽章が上手く収っています。CDでは低域がやや薄く量感に乏しかったところ、その難点がないのも予想どおり、スウィトナーのような演奏を味わうには実体感のある優秀な録音というのも必須条件に思います。

スウィトナー be sym3
オットマール・スウィトナー指揮
シュターツカペレ・ベルリン
1980年録音


カラヤンやベームの演奏を聴き馴染んだ耳には初め、おっとりと落ち着き払った演奏で迫力がないと思っていたが、LPの再生音でようやく真価が聴けるようになった。冒頭の響きを聴いただけでスウィトナーらしい、テンポは急がず、短くくっきりと響かせ、あとは残響音に任せる、弦楽を室内楽のように丹念に聴かせる、バランス的に木管がくっきりと前に出てきて、音の色彩が豊か、いつもながらtimpの打音がツボを突くように効いてくる。楽譜を持たないと気づかなかったような細かな音の構成が実際の音として聴こえてくる、こんなに複雑な仕掛けがあったのかと驚くほど。これはスウィトナーの他の演奏でも同様。第一楽章など多少なりとも劇的な表現をする指揮者が多いが、スウィトナーは他に例がないほど端然と進める、提示部は反復するが、もう一度聴きたいと思わせる、展開部とコーダにはクライマックスがあるが、そこでも強引な力感は入れない、それで聴き手の心理はぐっとクライマックスへと運ばれる、力で押すことなくツボを得た音楽コントロール。
第二楽章でも、しつこく引きずる表現なく、さらりと自然体であるが、フーガで書かれた部分など美音の弦楽で一際深淵に聴かせる。
スケルツォは速めのテンポで歯切れよく快調、これもスウィトナーらしい。
終楽章、乱奏的に始まるが、爽快な響きは崩さない、終楽章も大袈裟な表現は取らず、基本的にインテンポ、しかし各変奏の味わいどころは十分付いてくる、コーダは一気に速く、さらりと終わる。
聴き終えてからふと、ライナーノーツにある解説者(小石忠男氏)のスウィトナーの演奏について書かれた文章を読んでみると、ほぼ私の感想と同じことが書いてあった^^

category: ベートーヴェン

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オイゲン・ミュラー・ドンボア氏逝く  

5月9日、リュート奏者で教授のオイゲン・ミュラー・ドンボア氏が亡くなられたとの情報を得ました。
ドンボア氏は1931年生まれ、リュート復興の先駆者であったヴァルター・ゲルヴィッヒ氏にミヒャエル・シェーファー氏と共に師事し、バッハやヴァイスの作品を師が手掛けなかったバロックリュートで演奏、レコーディングでその魅力を世界に知らしめ、"リュートのレオンハルト"と呼ばれた方です。

o m ドンボア

はじめて聴いたSEONのレコードでその堅実で深みのある演奏に魅了され、「今は無理でも、いつかバロックリュートを手にしよう」と思ったのは当然、私だけではないでしょう。
日本からも多くの若手が師事、その後優れた奏者として活躍、さらに我々アマチュアもその恩恵にあやかっています。ドンボア氏とシェーファー氏なくして、今日のリュート界は未開のままだったかもしれません。
心より哀悼の意を表します。

category: リュート

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ピエトロ・ライリッヒ:モデル  

今日は楽器の話題、私が使っている2011年、M.オッティガー作、ピエトロ・ライリッヒに基づく11コース、バロックluteですが、ボディ部分が丸っこく珍しいタイプだなと思っていました。
竹内太郎さんの日記のページで参考になる記事を見つけました、2014年4月27日の日記に、この楽器のボディは元々、リウト・アッテォルバートという弦長短めの楽器でボディは縦方向に短く作られたもので、それをバロックluteに改造したものがあったらしいとのこと、これで納得、それらしい形です。

p r lute

写真左はEMS製のライリッヒ、右がオッティガー作、たぶんEMS製がオリジナルに近い型で弦長も60cm前後くらいと思われます。しかし60cmというのはバロックluteとしてはだいぶ短い;オッティガー作はもうちょっと充実した音が出るように66cmになっています。
なお、ホプキンソン・スミスがこの短いライリッヒのオリジナル楽器を使って録音しているそうです。
Denis Gaultier "La Rethorique des Dieux" Hopkinson Smith
素朴な味ですね^^

また同ページ2014年4月28日の日記にガットの代りとなる低音弦にサヴァレスのフロロカーボンを材料にしたKF弦というのが紹介されています、この情報は聞いたような初めてのような?原材料は日本製らしいです。

category: リュート

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J.S.バッハ:BWV1053  

バッハのチェンバロ協奏曲で第1番の次、か同じくらい好きなのが第2番ホ長調BWV1053ですね、明るい開始はBWV1052のような重厚感がないので、つい軽視していましたが;これも実に充実した傑作。これも原曲が失われていて、元はvl協奏曲、又はob協奏曲と言われていますが、私は旋律の性質からしてob、又はob.ダ.モーレ?の可能性が高そうに思います。形式はリトルネッロを基礎としながら、第一楽章全体がA,B,Aのダ・カーポ形式をとり、Aはまさしくトゥッティとソロの交替で通常の協奏曲らしいが、Bは言わば展開部、それまでの主題を基にソロはインスピレーションの趣くままに変化していく、またバックの弦楽は助奏でもあり、弦楽同士でも独自の掛け合いをしているような多重構造のような複雑さ、これはお決まりの形式に当てはめれば出来るというものでなく、バッハの理学性を伴う閃きで初めて出来たような音楽でしょう。第三楽章も同様のダ・カーポ構成で一段と聴き応えがある。

初めに昨日に続き、T.ピノックの演奏を聴く、これはCDも良好、速めのテンポで歯切れよく整然と演奏するのは何ものにも替え難く、作品の素の味わいを聴かせてくれる。

pinnock bach cem

次は過去にも紹介した2枚だが、いずれもオッタヴィオ・ダントーネが指揮、左は自身がチェンバロを弾いた演奏、右はヴィクトリア・ムローヴァがvlへの編曲で弾いたもの。

bach cem2
左、オッタヴィオ・ダントーネ:指揮とチェンバロ アカデミア・ビザンチナ 2007年録音
右、ヴィクトリア・ミローヴァ:vl、オッタヴィオ・ダントーネ:指揮、アカデミア・ビザンチナ 2012年録音
 

まずダントーネがチェンバロを弾いたほうは、ピノック盤より落ち着いたテンポだが歯切れ良い快調さはある、ob協奏曲ならこれくらいかな、というテンポ。こちらは弦楽の表現がしなやかで華やぎ、進展した古楽奏法が効いた味わいがあり、自然で余分な作為もない好演かと思います。
もう1枚、ムローヴァのvlによる演奏は、バロックvlの味わいを十分に聴かせる名演だが、こうして旋律楽器で聴くとやはり元はobかな、と思えてくる。元は大らかな旋律で、そこにvlやチェンバロ的なパッセージを適宜加えた演奏がなされているように感じる。もちろん両盤の演奏は美しいものです。ob協奏曲に復元編曲した演奏も出てくるかも?

category: J.S.バッハ

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J.S.バッハ:BWV1052  

バッハが書いた一連のチェンバロ協奏曲は殆どがvlなど旋律楽器のための協奏曲からの編曲です、BWV1041~1043はじめ、原曲が残っているものもあり、バッハの編曲方針がわかりますが、あまり原曲をいじっていないようですね、可能な限り原曲の美しさや緊張感をそのままに、という方針で鍵盤技巧としては不具合な部分だけさりげなく変えてあります。しかしほぼ原曲のままで、BWV1041~1043あたりはそれで十分いけるのかもしれない。

チェンバロ協奏曲第1番ニ短調BWV1052も原曲はvl協奏曲に違いないでしょうが、バッハ屈指の傑作だけに内容も高度です、vlらしい技巧部分をあえてそのままチェンバロで弾く部分もあり、もしここをチェンバロ的なアルペッジョなどに変えてしまったら、当たり前すぎて緊張感が削がれてしまうでしょう、これは正解、まずはT.ピノックの演奏を久しぶりに聴いてみる、快速なテンポでほとんどインテンポ、切れのよい技で理路整然と演奏していくのは、その後はあまり聴けない快演です。

bwv1052 pinnock
トレヴァー・ピノック:指揮&チェンバロ イングリッシュ・コンサート

次に、サイモン・スタンデイジがvlソロを弾いた復元演奏のBWV1052を聴いてみる、

bwv1052 standage
サイモン・スタンデイジ:指揮&vl コレギウム・ムジクム90

BWV1052も殆どオリジナルのvl的か?というとちょっと疑問・・vlによる復元演奏は他にも聴かれるが、それぞれに苦心した様子を感じる。高度な曲だけに、これはバッハも細心の編曲をしているかもしれない、チェンバロの右手パートをvlで弾けば概ね元通り、という具合にはいかないようだ。スタンデイジも恐らく自らの復元編曲と思われ、さすがに達演であるが、ところどころ、もしかしたら、ここは音価の長い簡潔な旋律だったかもしれない、ここはオクターブ低いのかもしれない、ここはまさにvl的で原曲どおりだろう、などと気にしながら聴いてしまう;
100%納得して聴けない部分があるのはスタンデイジ以外の演奏でも同様だ。とは言え、骨組みとしてはやはり素晴らしい曲なので、深い味わいは十分にある。

category: J.S.バッハ

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J.ラモン&ターフェルムジーク:ヴィヴァルディ「四季」  

J.ラモンも数々のターフェルムジークのソロで非常に美しい演奏を聴かせているので、「四季」は外せないと思いました。特長はいつも便宜的に使われるバロックピッチA=415hzではなく、モダンピッチに近いA=442hzで演奏しているところ。研究によれば、ヴィヴァルディの活躍したヴェネツィアではこのピッチだったらしい。やや甲高く聴こえるのはSONY-VIVARTEレーベルの録音特性だけではなかった。

四季 j lamon
1991年録音

春から順に聴いてみたところ、全体にテンポは中庸でとくに驚くところはない、強弱やアゴーギグなど深く溜めてぐっと引き付ける、といった印象もない。ホグウッドやピノックのようなカリスマ性をもった統率者が存在せず、描写的な要素が多く占める作品だけに腕利きの奏者の集まりであっても様式感をもってきりっとまとめるのは難しいかもしれない、絵画でいえば構図に締まりがない感じだ。J.ラモンは緩抒部分で、さすがにヴィルトーゾ的な装飾演奏を聴かせるが、繰り返し聴きたいという感じではない、一回かぎりの達演といったところ、即興的なものだけに録音物としては難問かもしれないが、ホグウッド盤の4奏者やピノック盤のS.スタンデイジは無駄がなくセンスが良かった。
夏の描写場面もまずまずだが、切り立った迫力はそれほどない。
この演奏ではコンラッド・ユングヘーネルがアーチluteで通奏低音に加わっている。秋の中間楽章ではアーチluteがアルペッジョを奏で一味違うが、余韻が短い分小刻みな表現に聴こえる、ここはチェンバロが正解かもしれない、弦楽の和声もいまいち、"静の緊迫"がほしいところ。
冬に関しても、ソロ、合奏とも描写部分にスリリングなところがなく、安全運転でまとめている感じ。
このアルバムには2曲追加で入っていて、
弦楽のためのシンフォニア ロ短調「聖墓のそばで」
これが短い曲だが、霊感に満ちた傑作、よい曲を紹介している。
最後が4つのvlのための協奏曲 ロ短調
これはお馴染みだが、各パート一人ずつ(合奏群なし)の室内編成、これがターフェルムジークの本領発揮と思えるきりっと決まった演奏。メインの「四季」より追加された2曲が気に入ってしまった;

category: ヴィヴァルディ

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M.ハジェット:ヴィヴァルディ「四季」  

コレッリのvlソナタ集で不動の名演を録音しているバロックvl名手モニカ・ハジェットに期待して四季を聴いてみました。
全般に、ホグウッド、ピノック盤ほどの深い溜めや緊迫感で聴かせるところはあまりなく、強弱もほどほど、テンポは全体にやや速めではあるが温和に感じる、Virgin Classicsの録音もさほど切り立ったサウンドではなく、ソフトな感じ、80年代後半になると、こうしたサウンドが主流になったせいか?

m huggett vivaldi
ニコラス・クレーマー:指揮
ラグラン・バロック・プレーヤーズ
モニカ・ハジェット:vl
1988年 Virgin Classics


春のトゥッティのテンポに対し、ソロの鳥のさえずりは自由な速度で描写を十分に聴かせる。緩抒楽章での装飾は細かいパッセージを挿入するといったタイプ。夏の嵐の描写もさほどテンションはかけない、とは言っても昔の演奏と比べれば、この時期らしい表現ではある。冬の終楽章に関してはなかなか良い、vlソロの氷上の描写が上手いのと、終結の極めて急速な演奏を合奏群が痛快に決めている。優れた演奏の一つが加わったとは思うが、特に新しい発見や楽しみを聴かせてくれるには及ばず。

category: ヴィヴァルディ

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T.ピノック:ヴィヴァルディ「四季」  

ヴィヴァルディ「四季」の録音をするというのはクラシック全般から注目され、評価される、一大仕事かもしれません、古楽器団体によるものは前例も少ない中で、ホグウッド盤とピノック盤は見事、メジャー盤となったようです。それも優れた音楽性があってのことでしょう。
さて、銀色に輝くドイツ盤ジャケット、T.ピノック:指揮、S.スタンデイジ:vlのヴィヴァルディ「四季」です。国内盤のジャケットはピノックの写真が載ったものでした。
vlソロを受け持つスタンデイジや合奏群、通奏低音にもホグウッド盤と共通のメンバーがいて、同じ文化圏の演奏と言えましょう、共通性もある中でホグウッド盤に盛り込めなかった魅力を放つ、こちらも名盤です。奇異な表現のまったくない、溌剌として気品のあるピノックらしいまとまり、スタンデイジの美音で弱音箇所でもくっきり線の緻密なvlソロ、飽きることはないです。録音は清流の水のように明瞭、アルヒーフのベストサウンドでしょう。

ピノック 四季
1981年 録音

は溌剌とリズミカルに始まる、鳥のさえずりは複数のソロが弾くがこれが透明感があってじつに美しい。vlソロの切れ味に合奏もぴたり同調する。中間楽章でのS.スタンデイジの装飾演奏はバッハか誰かの一節を聴くような理知的なセンスを感じる。終楽章もジーグ風の快調なリズム感を聴かせ爽快。
のはじまりの気だるさ、鳥達のさえずりもつかの間、突風が襲う、突風の前はぐっと弱奏にするが、ここが引き付けてじつにいい、そして突風、強引な響きを使わず十分なダイナミズムを聴かせる、中間楽章の装飾も流石、装飾とはいえ様式美がある。終楽章は再び嵐、ここも強弱の対比で効果をあげる。もともと好きな"夏"であるがこれはgood、
、第一楽章は活気とともに、vlのアゴーギグの緩急が痛快、強弱の対比も引き付ける。中間楽章はチェンバロのアルペッジョに乗って弦楽が無から現れるような開始、全般にぐっと弱奏で行く涼やかな微風。終楽章はリズムを弾ませ、楽しい。
、第一楽章は急速インテンポでソロの切れ味もあり寒さに凍える感覚、中間楽章、ここは爽やかな美音と格調高い装飾。終楽章はソロ、合奏ともに氷上の物理法則を感じさせるみごとなアゴーギグ、そして強風、痛快に最後をきめる。

描写要素の多い曲とはいえ様式美もぴしっときめた品の良さ、これ以上、なにもいじくる必要のない完成された演奏でしょう。古楽の中の"クラシック"と言えるかもしれません。

category: ヴィヴァルディ

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なぜリュートをはじめたのか  

黒羊さんの記事につられてちょっと書きます。
私がリュートを始めたのは当然、その音色と音楽に魅せられてのことですが、好きになった大きな要素は"弦がたくさんある"ってところです^^これを難しいとか厄介とか感じたことはまったくなく、嬉しいくらいでした。たくさんの弦が共鳴する深淵な響き、これを喜ばずしてどうしましょう^^

11clute.jpg

ギターをやっていた頃は毎回弾く前に右手の爪磨きに神経を使い、いつもどおり弾きやすく良い音がでるように整えるのは結構微妙な作業でした。リュートの全コースを調弦するのと大して手間はかわらないです。いよいよリュートを手にする見込みがついたころ、ギターを使ってタブ読みの予備練習をしました、これも楽しい。
特にバロックリュートのニ短調調弦に親しむようになってから、ギター調弦の苦闘から解放されたようで、魅力なレパートリーは某大だし、これなら一生続けられると思いました。たしかに始めた頃は調弦法の特性や、バス弦を捉えるのに戸惑いましたし、弾きたい曲も楽譜屋さんにあるわけでなく、方々調べて取り寄せますが、好きになってしまえば、いかなる手間も難関も楽しみと変ります。
好きじゃないことは簡単な事でも身に付きませんが^^;

category: リュート

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ベッツィ&クリス:「白い色は恋人の色」  

時が経っても聴きたい流行歌というのはあります。
タイトル文字のデザインも懐かしい、ベッツィ&クリスの「白い色は恋人の色」手元にCDもあるんですが;不思議なもんで、CD化されたものは"記録データ"、アナログ盤は"現物"といった違いを感じます。

ベッツィ&クリス

参考動画: 「白い色は恋人の色」

日本でフォークソングが人気だったころ、ハワイからやってきた二人、日本の歌手には求められない魅力がありました。爽やかなハーモニーで、ベッツィのソフトな美声が良いですね、現代はこのような純朴で真っ当な"歌"が作られなくなってしまったかな;
コンピューターに任せて、無作為に言葉を繋いだ意味不明の歌詞に単調な曲を付けたり、電子音任せのリズムでハーモニーなし、そんな曲がヒットしたり、カラオケでうたっている人もいる・・何が悲しゅうてそんなもん聴かにゃならんのか;現代の一部の軽薄な文化には辟易。

category: ポップス・etc

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C.ホグウッド:ヴィヴァルディ「四季」  

「四季」の続きです。古楽演奏が本格化した80年代、最初に出たメジャー盤が当ホグウッド盤と続くピノック盤でしょう。合奏メンバーにもその後古楽を先導する顔ぶれがあります。ピノック盤でソロを弾くS.スタンデイジやR.グッドマンらがここではバックの合奏で弾いています、春夏秋冬でソリストを交替させるのも録音としては初の試み(ソリストの交替はこれが初めてではなく、N.マリナーの来日公演でも行われた)、各奏者の個性と精魂こめた演奏が聴ける、また通奏低音はホグウッドの鍵盤にリュート界の新鋭N.ノースのバロックギター、アーチluteが加わり、これも初の試み、このへんもホグウッドならではの快挙でしょう。描写音楽という特殊性もあるが、今も昔も美しいヴァイオリン音楽であることが第一でしょう。今聴くと、これが最も信頼して聴ける美しい演奏ではないかと思います。録音はキングス ウェイ ホールの美しい響きと弓の微かに触れる弱音まで明瞭に捉えています。何ら古いと感じるものはない。

ホグウッド四季
クリストファー・ハイロンズ(vl:春)
ジョン・ホロウェイ(vl:夏)
アリソン・バリー(vl:秋)
キャサリン・マッキントッシュ(vl:冬)
エンシェント室内管弦楽団
ナイジェル・ノース(バロックギター,アーチリュート)
クリストファー・ホグウッド(指揮:チェンバロ, オルガン)
録音:1980年 デジタル


、弾むような活気を帯びた始まり、バロックギターのラスゲアートの効果が早くも活きる、ソロvlは4人共通でバロックvlの味わいを聴かせるが、トップのハイロンズがそれを印象づける、緩叙部分での繊細な表情、柔軟なアゴーギグとそれにぴたり呼応する合奏と通奏低音、緩叙楽章の装飾演奏は過度にならず、バロックスタイルらしい洗練されたものを感じる。第三楽章はじつに清々しい。
、いかにも酷暑にうなだれる開始、アーチluteの終止和音の響きが気だるい気分にふさわしい^^;ホロウェイのvlも描写性と美しさを見事に聴かせる、弓使いの味わいが深い、嵐のトゥッティも十分激しさを表現、またソロに寄り添うノースのアーチluteのリアリゼーションがいい。中間楽章でのソロの装飾、これもセンス良い。トゥッティの雷鳴は遠雷だったり近かったり変化をつける、終楽章のダイナミズム、ソロの切れ味ともに痛快。
、後半からのソロは女性陣、明るい第一楽章、バリーのソロは思い切ったアゴーギグを行い、急速に詰めたパッセージを弾くがバック共々決まり痛快、中間楽章は和声進行のみ聴かせる楽章だが味わい深い、古楽器のキメ細かい響きは涼やかで有利、ホグウッドはチェンバロで最小限に和音を散りばめ、じっくり、眠りのシーンだが聴き手は引き付けられる。終楽章の狩の描写も闊達で見事、ここは全員がソリスト状態でしょう。
、第一楽章は快速でインテンポ、マッキントッシュのクールなソロもキリっと凍てつくような感覚、楽章が氷の結晶のようだ、一方第二楽章は暖かい部屋、緊張がほぐれ、ほんのりとした美音で奏でる、装飾は控え目だが気品よい、長いトリルを徐々に遅めぴたりと終止に合わせる。終楽章、氷の上で思い通りに動けない様をリアルに描写、最後の嵐はぐっと急速に緊迫感をもって閉じる。

もう30年以上経つこの段階でホグウッドやピノックが完成度の高い録音を残し、続く古楽奏者達が、どのようなアプローチを見せて行くか、たどってみるのも楽しみです。

category: ヴィヴァルディ

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J.カイルベルト:ハイドン交響曲第101番「時計」ほか  

先日見つけた、ヨーゼフ・カイルベルト指揮のハイドン交響曲101番「時計」ですが、聴くのはもう40年ぶりくらい?大昔です^^;昔持っていたものとはカップリングが違い、カッティングのスペースも過去より多めに取ってあるのは良い。2曲目にはK.リヒター、ミュンヘン・バッハOのモーツァルト交響曲29番が入っていて、これも興味深い。幸い盤のコンディションも良く、昔持っていた小型ステレオでは聴けなかったサウンドで再度味わえます。

カイルベルト haydn 101

J.カイルベルト指揮、バンベルク交響楽団のハイドン「時計」、針を下ろすと、懐かしい序奏の響きが始まる、あまり粘らず、さらりとした序奏、主部は小刻みで音階的な第一主題、同様の第二主題、弦楽をキビキビと響かせながら、第一楽章の個性をまさにくっきりと聴かせる。
第二楽章、ファゴットが時計の振子らしいテンポでくっきりリズムを刻む、初めて聴いたとき、まさに副題どおりのイメージだった。妙な脚色なく、すっきり自然にまとめた第二楽章。
メヌエットも終始スタカートぎみで快調、重くならず、心地よくリズムに乗せて行く。
終楽章、程よく快速ながら、第一楽章同様、きっちりと各部の音を折り目正しく演奏、展開部のフガートなども明快、終結まできりっと引き締める。堅実な演奏をする指揮者と聴いたが、まさにそのとおり。

2曲目のリヒター、ミュンヘン・バッハOによるモーツァルト交響曲29番、第一楽章だけひとまず聴いたが、ヴィオラもチェロも低音も全パート対等バランスの響きで、バッハの演奏を聴くときと同じ、軽く聴き流しがちだった29番を立体的に聴かせるのは流石、真面目で堅実、ドイツ的な演奏の収まった一枚です。

category: F.J.ハイドン

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イ・ムジチ:ヴィヴァルディ「四季」最新盤  

時代は移り変わる、バロック合奏団の老舗イ・ムジチといえど、ただ伝統を守るだけにはいかない、アントニオ・アンセルミがコンマスに就任した後、2012年録音の最新盤を聴いてみました。1995年録音のシルブ盤とはまるで別世界、イ・ムジチがついに大きく舵をきった。

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Epic 2012年

"春"の始まりから高域倍音の強い、切り立ったような響き、ピュアトーンで従来の穏やかな合奏音ではない、これは録音の特性にもよるが、新生イ・ムジチのイメージを表してもいるでしょう。ふくよかなレガートよりも切れ味が目立つ、第二楽章で彼らとしては初めて?装飾音を聴かせる、しかし一流の古楽奏者のそれには及ばない感覚的なものに留まる。"夏"は特に描写性の強い曲で聴きどころだが、アンセルミは思い切り溜めを置き、一気に発散するような鋭さ、これはすでに古楽奏者達がやってきたことで珍しくはないが、一段とテンションは高い、弓を強く素早く擦りつける激しさ、けっして綺麗な音とは言えない、これを聴くと熟年のファン層からは不評の嵐のようで、まあ傍観するのも楽しい^^;適宜ヴィヴラートも使うがソロも合奏もピュアトーン基調のサウンド。もはやロック感覚ともいえるエキサイトぶりは若い世代の求める新流かもしれない。"秋"も快調なテンポとリズム感、やはり、溜めと一気の発散感覚が眠気をさます。和声進行の第二楽章はクールな心地よさ。"冬"も氷の上を滑る描写感覚など特に実感的で面白い。新メンバーには古楽アンサンブルで活躍した人もいるそうで、演奏方針は民主的に決めるイ・ムジチ、各メンバーの経験も反映しているでしょう。最新の演奏の評価には時間を要するでしょうが、ようやく古い殻を打ち破ったイ・ムジチ、今後メンバーが替わっても昔に戻ることはないでしょう。
シルブ盤のほうもちょっと聴いてみた、フィリップスらしい落ち着いたサウンドだが、穏やかすぎてパっとしない、もっと古いLP盤のほうが目の覚めるような明瞭サウンドが聴けるのだが?

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PHILIPS 1995年

始まりから昔ながらのイ・ムジチ、という印象、もちろんアーヨ、ミケルッチ時代とはだいぶ変容はしているが、従来の伝統が根付いた感覚、私には少々退屈です。

category: ヴィヴァルディ

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W.サヴァリッシュ:ハイドン交響曲第94番「驚愕」  

先日のセールで買ったLP盤、まずウォルフガング・サヴァリッシュのハイドンから聴きました。サヴァリッシュの「驚愕」ってまったく聴いた憶えがないので、興味あるところ、堅実で常識的な演奏だろうと予想しつつ・・
なお、この盤は「不滅の交響曲(6)」とあるのでセットものの1枚のようです、ジャケットもちょっと殺風景だし;1960年の録音だったはずだが、古さはなく、明晰な響きでフィリップスらしい名録音で聴ける。

hay sym94 サヴァリッシュ

94番「驚愕」
第一楽章、序奏はあまり引きずらずサラリと聴かせ、主部のテンポが意外に快速、急速ではないが、今まで聴いた中では速い、キビキビとして爽快に進める、弦楽は小刻みな主題をきちっと整え、提示部の2回目のトゥッティでは弦のトレモロが整然となだれ込むように重なり、ダイナミズムが痛快、いかにもこの曲のツボを押さえた表現、速めのテンポで初めて感じる良さがある。
第二楽章以下は定石的な演奏でしょう、ウィーン交響楽団の弦はVPOとも共通するような、しなやかな響きで、それが魅力を加える。ダイナミズムもしっかり打ち出すが、かっちり整った響きで荒っぽくない。
メヌエット、テンポはリヒターの演奏より若干速いくらい、しかし耳にずっしりくるほど重くなく、程よい力感でまとめる。
終楽章、やや快速だが、まさにちょうど良いテンポ、誇張もなければ、特異な表現もなく、理路整然と進め、充実感に満ちて終わる。さすがサヴァリッシュらしいと思う。
特に第一楽章がすばらしく印象にのこるが、これは「驚愕」屈指の名演と言えそう。

B面にはロリン・マゼール指揮、ベルリン放送響のモーツァルト40番がカップリングされ、これも興味深いがあらためて。

category: F.J.ハイドン

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G.W.中古盤セール  

毎年G.W中にはいつもの中古ショップが主催で、いくつかのショップが合同セールを行っていますが、今日はよく晴れて暑いほどでもなく良い日和。まあ、ほしい盤の2、3枚もあれば、と息子連れで覗いてみました。フロアー一杯の出展を見ると、これから潮干狩りでもする気分^^;大まかにしか分類されていない中からお目当てを見つけるのはちょっとホネです、しかし出だすとちょっと元気が湧くんですね^^;

2014 5 4a
まず、1枚目が左、このジャケットを懐かしく思う方も多いでしょう、ギング・レコードから出ていたテレフンケン原盤の兼価盤シリーズ、私が初めて購入したハイドンの交響曲、ヨーゼフ・カイルベルト指揮、バンベルク響の101番「時計」、もう一度聴いてみたいと思い探していたものです。過去に購入したのはA面だけで「時計」とモーツァルトの交響曲「ハフナー」と2曲も刻まれている超詰め込みものでしたが、これは再カッティングで少しはスペースを取ってあります、どんな音で聴けるのかと、期待。右がW.サヴァリッシュ指揮、VSOのハイドン交響曲「驚愕」、これを見つけたあたりで調子が出てきた^^

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また意外な掘り出し物は左、T.ピノックのヴィヴァルディ「四季」、CDは随分前から持っていて、デジタル録音なんだからCDで正解だろうと思いつつも、DENONのPCM同様、アナログ盤では一味違うかもしれないという期待と、思わず銀に輝くジャケットに引かれて;
もう一つ右、カール・ベーム指揮VPO、ベートーヴェン第九のドイツ盤、未聴状態と思われるコンディションで超お値打ち、D.Gのベーム盤もCDとLPとでは随分、音の充実度が違うのでこれもじっくり味わってみたいです。あとはテレマンの協奏曲で未聴盤らしきアルヒーフ盤を一枚。

2014 5 4c
息子はプログレッシブ・ロックを丹念に探索、お目当てがザクザク出てきたようです。真っ白なLP盤は初めてみましたが、埃が着いていても分かりにくいので、やはり黒でしょうね。
歌謡曲のシングル盤たるや凄い数で気が遠くなります;今日はやめました。

category: オーディオ

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I.ボルトン:ハイドン交響曲第96、88、60番  

C.デイヴィス、B.ハイティンク、S.ラトル、C.アバド等々、いくつか演奏を聴けばハイドンに対しての演奏理念がわかってきて、期待を裏切ることなく聴かせてくれる指揮者がいます。アイヴァー・ボルトンもその一人、今日は96、88、60番といった聴きどころを集めたアルバム、録音は2008年、没後200年、ハイドン・イヤーのものです。

i bolton hay sym96 88 60

96番「奇跡」透明感のある弦で始まる序奏、そこにobがくっきり浮き立つ、主部は活気を帯びた適切なテンポ、トゥッティに入るとがっちり力感を出すのはボルトンらしい、いつもどおり金管とtimpは古楽器で痛快に響き、同時に弦が歯切れ良く浮き立つ。弦が強く響きすぎるとモノトーンに聴こえるが、ボルトンのバランス感覚は色彩感も豊かに聴かせる。清涼感と力感、かっちりした造形美を見事に実現する。
第二楽章も切れ目を入れながら、すっきりと、ダイナミズムも思い切りよい、魅力的な短調部分も感傷的にならず、冷静に整える。
メヌエットもきりっと引き締め、リズムの明快さが心地よい、トリオのobソロは無用に表情的にならず、装飾を入れながらさらりとした演奏が良い。
終楽章、程よい快速、さりげなく流れて行く終曲でもボルトンはがっちりした各パートの仕掛けを立体的に明確に聴かせる。これは96番屈指の名演。
88番、決して大柄な曲ではないが、チャーミングな要素が詰まっていて特に人気の曲です。序奏は付点リズムを強調したピリオド演奏で切れ味よい。主部は適切な速さ、ここはもうボルトンの手腕で見事、と言えば済むでしょう。
第二楽章、ラルゴ、ハイドンの温もりに満ちた旋律、引きずりすぎず、小気味よく句読点を入れてすすめる、突然のffも細心のバランスで堂々と風格を帯びた良い響き、続く弱奏が美しい。
メヌエットは速めにし、リズムは明確に打ちだし、爽快。
バーンスタインの"顔指揮"でも有名な終楽章の見事さは言うまでもないでしょう、ボルトンの手にかかれば完璧。
最後は60番、「うかつ者」の副題付き、6つの楽章があり、爽快で魅力的な曲でありながら、なんかへんてこりんなところも、、表立ったユーモアもあれば、どこまで真面目でどこから冗談なのか?はっきりしない怪しさもあり、ユーモア・センスの光る作品、しかしボルトンは全曲美しい響きで、終楽章の調弦風景の場面まで綺麗にまとめる。
もっとハイドンの録音を出してほしいですね。

category: F.J.ハイドン

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あまい囁き  

今日はちょっと趣向を変えて日本の歌謡シングル盤、中村晃子&細川俊之の「あまい囁き」。
今のプレーヤーに歌謡シングル盤を乗っけるのは初めて、今は古い歌謡曲も様々な音源から聴けますが、昔どおり、ドーナツ盤を廻すのがいいんです。

あまい囁き

いい^^中村晃子さんは曲にぴったり、細川さんのキザっぷりもここまでキマると痛快、この二人じゃないと成立しない傑作盤でしょう。
オリジナルはイタリアのミーナ&アルベルト・ルーポ盤だそうですがフランスのダリダ&アラン・ドロン盤が有名ですね、金井克子&野沢那智盤もあります、野沢さんはアラン・ドロンの吹替え声優でお馴染みでした。日本語版ではだいぶ歌詞を変更したところもありますがこれがメロディーラインにぴったりくる気の効いた歌詞になっていてセンスもいい。まあ大筋は似たようなものですからこれが正解、日本語版の口説き台詞も誰が考えたのか、やりますね^^
参考動画:
中村晃子&細川俊之
ダリダ&アラン・ドロン
ミーナ&アルベルト・ルーポ

歌詞を日本語に置き換える際、オペラになると会話語になってしまい、音楽の格調高さに対し不調和で浮いてしまう感じ、ビゼーの「カルメン」の日本語版を聴きましたが、どうも締まりがなかった、しかし会話語もボサノバのリズムに乗っかるとごく自然なのが不思議。
オラトリオなど宗教曲では、文語調に訳すとびしっと格調高くなります、日常から距離を置いた言葉だからか?児童が歌う日本の古い唱歌もやはり文語調でよく出来ていますね。日本語の扱いは文法の違いのみならず特殊で難しいです。

中古ショップ通い、いつもクラシックコーナーばかり覗いていましたが、こっちの路線にもハマりそう^^;

category: ポップス・etc

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