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信長、秀吉も聴いた?クラシック ≪続≫  

現代、音楽を聴く我々は、大昔に書かれたクラシック曲でも、普遍的価値を認めた曲は繰り返し聴いているし、最新研究に基づく演奏となると、新曲が出たかのように興味をもって聴く、また録音物で50年以上前にヒットした懐メロも聴ける;
録音がなかった昔は誰かが生演奏する曲こそが音楽だった、という違いがある、モーツァルトやハイドンが書いたのも最新流行の現代曲だったはず。古い音楽で演奏されるのは教会の儀式音楽や各地に伝承される民謡くらいだったかも。

以前、豊臣秀吉が聴いたかもしれない?西洋音楽について書いたが、
hideyoshi.jpg
よく言われる、ジョスカン・デ・プレの「千々の悲しみ(Mille regrets)」という有名な歌曲が演奏された、という可能性は低いようだ、
JapaneseEmbassy_202004021128574af.jpg
天正遣欧使節がヨーロッパに到着したのは1585年、帰国したのは1590年、一方ジョスカン・デ・プレが生きたのは1440~1521年なので、この曲はたぶん80~100年ほど前に流行った過去の曲になる、この曲をビウエラに編曲したルイス・デ・ナルバエスも1500頃~1555頃の人である。かつてR大学の名誉教授が唱えた「千々の悲しみ」説は軽く空想を楽しんだ程度のものかもしれないが、それがいつの間にか可能性のある話として定着してしまった感がある、特に興味深い話はそうなりがち、nhkのららら♪クラシック「戦国武将を癒やした音色」の話題にもこの影響が出ていた。
参考:ホプキンソン・スミスの演奏でルイス・デ・ナルバエス「皇帝の歌」
原曲:ジョスカン・デ・プレの「千々の悲しみ」
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h s vihuela you*画像は録音に使われた楽器ではない
you tube:Luys de Narvaez
*リンクした最初の曲が「千々の悲しみ」

天正遣欧使節が帰国後、秀吉の前で演奏したのは1591年とされる、この時期はイタリアでモノディ様式が始まった頃で、ジュリオ・カッチーニ(1545?-1618)が有名である、C.モンテヴェルディ(1567-1643)も既に活躍しており、初期バロックが芽吹こうとする頃だろうか、「千々の悲しみ」は懐メロすぎて忘れられていたかもしれない、
カッチーニの「アマリッリ麗し」もお馴染みだが、天正遣欧使節の頃にはまだ書かれていなかったと思われる;?
Amarilli.jpg
参考you tube:Caccini: Amarilli mia bella
我々が昔の名曲として知っている曲を、天下人も聴いたかもしれないと想像するのもまあ一興ではあるが。

ご覧いただき、ありがとうございました。
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category: ルネサンス・バロック

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コメント

ビウエラ

こんにちは、きょうは風花が舞っています。

ビウエラを新しく手にされたのですね。
サイズはどの位でしょうか。
ビウエラ曲は690曲現存していますが、ビウエラは不思議な楽器ですね。

ビウエラにとって、遣欧少年使節と「皇帝の歌」(千々の悲しみ)は切っても切れない話しになりますね。

少年使節は1584年に「太陽の沈まない国」スペイン国王、フェリペ2世(1527―1598)に謁見していますが、最後のビウエラ曲集が出版(1576年)されてから8年ほど経ちますね。

フェリペ2世の宮廷楽士、フェンリャーナはビウエラ曲182曲を、1554年に曲集として出版されていますが、当時のスペインには、スペイン・ルネサンスの最高峰、トマス・ルイス・ビクトリア(1548?―1611)がおりますので少年使節はビクトリアの音楽を聴かされたのではないのでしょうか。

それにしても、日本に30年以上も滞在し、ローマイエズス会の指示により、日本での布教の状況を記録する役割をしていたルイス・フロイスが、一大セレモニーであった、少年使節の秀吉公御前演奏での曲目を記録していない事は、何か理由があるのですかね。… フロイスともあろう者が。

少年使節が御前演奏で、ジョスカン・デ・プレの「千々の悲しみ」を演奏した。
「~演奏した」が、「独り歩き」して様々な所で断定的に使われていますね。

是正するには、時が経ちすぎました。

老弾 #- | URL
2020/04/02 15:54 | edit

老弾さん こんばんは

とても参考となるコメントをありがとうございます。
トマス・ルイス・ビクトリアの曲はどれも魅力的です、スペインが誇る大家の曲なら、候補として最も有力に思いますね。
日本の武将達が残した記録とフロイスなど宣教師がイエズス会へ報告した文書には立場の違いが現われているようで面白いですね、謎は多いですが、このほうが歴史学者には客観的に探りやすかったり?
そう言えば、今「大河」でやっている明智光秀の娘、細川ガラシャを題材にしたバロック・オペラがありましたね、宣教師の報告をもとにイエズス会の神父が台本を書き、ヨハン・ベルンハルト・シュタウト(1654-1712)が作曲した「勇敢な婦人-細川ガラシャ」、こちらにも興味わきます。洗礼名はグラツィア、あるいはガルーシアとか。
>ビウエラについては次の記事に書きます^^

michael #xNtCea2Y | URL
2020/04/02 20:43 | edit

こんばんは。
ビウエラ、そのうち見せてください。

秀吉の聞いた曲が "Mille Regrez" ってのは、M川T夫さんの言い出したことのようですね。
見るべき研究もありますが、困ったことに、きちんとしたエビデンスの無い説もあります。

個人的には、天正遣欧少年使節が学んだ・演奏した音楽は、世俗曲ではなく宗教曲ではないかと思っています。

リュートの奇士 #nLnvUwLc | URL
2020/04/02 22:48 | edit

奇士さん こんばんは

wikiにさえ、「聚楽第において豊臣秀吉を前に、西洋音楽(ジョスカン・デ・プレの曲)を演奏する」と書かれていて驚きました^^;

>宗教曲
の可能性もあるでしょうね、秀吉は3度演奏させた、と伝わるようですが、和声が入ったであろう西洋音楽をただ不思議に思ったか、良い、と思ったか・・

michael #xNtCea2Y | URL
2020/04/03 00:13 | edit

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